はじめに
私フレミングはかつて北海道に住み、巡検で各地を廻っていました。北の大地の背骨である大雪山系の名峰トムラウシ山は、常に畏敬の念を持って眺める存在です。そんなトムラウシ山で2009年7月16日に起こった大規模遭難事故は、登山ブームに湧く社会に大きなショックを与えました。
事故後、(いつもの如く)ワイドショー的自己責任論や写真週刊誌的遭難者への批判が噴出しますが、やがて(これまたいつもの如く)一月もすれば事故は忘れられ、次のニュースが消費されていきます。しかしこの事故への関心を一過性のものとせず、登山者への教訓として、社会への警鐘として残そうと行動した人達がいました。それが「トムラウシ山事故調査特別委員会」であり、その成果が、翌2010年3月1日に公表された「トムラウシ山事故調査報告書」として記録されています。委員会に敬意を評し、この報告書をまだ知らず、そしてこれから必要とする人への紹介のために、本稿を記します。
事故の概要
時系列
2009年7月16日、その事故は起こりました。10名の方が命を失うという痛ましいニュースに触れた人々は悲しみ、そして驚きました。驚きの理由は犠牲者の数だけではなく、比較的危険度が低いと思われてる夏山シーズンに事故が起きたからでもあります。犠牲者の多くが低体温症で亡くなったと判明するにつれ、驚きはさらに広がりました。フレミングも当時ニュースを見て驚きましたが、北海道のしかも山中ということで続報がなかなか届かず、やきもきした覚えがあります。
下の全日程でのルートを含む(地図1)は、大雪山国立公園連絡協議会HPより引用しました。ちなみに地図でのルートの色はグレードを示しており、赤>橙>黄>緑>青、の順で走破が難しくなります。
7月14日
犠牲者は「アミューズトラベル株式会社(以下、アミューズ社)」のツアーの参加者とガイドで、広島・名古屋・仙台などを出発し、7月13日に新千歳空港に集合して2泊3日で大雪山系を登山する予定でした。集合日は旭岳温泉・白樺荘に宿泊します。ガイド・スタッフ4人(うち、7月16日に参画していたのは3人)と参加メンバー15人の計10人でのツアーです。
翌14日は白樺荘から旭岳ロープウェイで登った駅(地図1の「1」)から登山を開始し、予定通りにお昼には旭岳 (地図1の「2」) に着いたのち、14時30分には今夜の宿である白雲岳避難小屋 (地図1の「3」) に到着します。 総じてここまで、ガスの中を突いたとは言え至って順調に来たと言えるでしょう。
7月15日
さらに15日には、朝5時に白雲岳避難小屋を出発し、15時にはヒサゴ沼避難小屋(地図1の「4」)に到着します。この日はメンバーが相当体力を消費したとの証言があります。それは、 一日中降り続いた雨でぬかるんだ登山道に足を取られたことや、下の(地図2、事故調査報告書のp.27より引用)にあるように、この日の旅程は相当な高低差があったことが原因でしょう。
7月16日
そして運命の日を迎えます。風雨が強い中で、リーダーはトムラウシ山頂の迂回を決断し、5時30分に出発します(地図3の「1」)。このときリーダーは「僕たちの今日の仕事は山に登ることじゃなくて、皆さんを無事山から下ろすことです」と言っており、天候の危険性を十分認識していたことが分かります。
ヒサゴ沼避難小屋からシェルパの助力を得て稜線に出た位置(地図3の「2」)から、8時30分頃に着いたロックガーデン(地図3の「3」)までは、ガイドが後々「ここらで引き返しておけば…」と悔やんだ区間になります。 天候やメンバーの体力的なに見て、ロックガーデンは「Point of No Return」だったということでしょう。その名の通り岩場であるロックガーデンは、晴れていれば景勝地ですが、先の見えない雨の中では足元を掬う障害だらけの難路となり、気力を失い座り込むメンバー、強風に荷物を飛ばされるメンバーも出てきます。
雨は降り続き、北沼(地図3の「4」)ではさらなる困難が襲います。沼からの水が氾濫して膝下まで水が流れており、メンバーの渡渉を手伝っていたガイドの一人が転んで全身を水に濡らしてしまいます。メンバーにも、意識が薄れる者あり、嘔吐する者あり、混乱して奇声を発する者まで出てきます。この時点で遭難していることは明らかですが、判断力の低下かメンバーをまとめるのが大変なのか、救助要請は出されていません。メンバーの証言も死を意識したものになり、『「これで私は死ぬんだろうか」と思った。しかし「ここで倒れるわけには行かない、体が不自由な妹の面倒は誰が看るんだ』とまでの状態になります。
この先、前に進む者、動けずビバークする者、付いて行けずはぐれる者など幾つかのグループに分かれてしまいます。トムラウシ分岐や南沼(地図3の「5」)からトムラウシ公園を経て前トム平(地図3の「6」)あたりまで、バラバラになった人達それぞれ、極限状態で朦朧とした中での証言が残っています(調査報告書のp.14~p.18)。
捜索活動は110番通報(前トム平で15時54分)を受けて16日の17時ごろから開始され、自衛隊の協力も得て翌17日の明け方に本格化し、その日の12時までかかって終了しました。
犠牲者数
結局、ツアーリーダーでもあったガイド1人とメンバー7人が低体温症で犠牲となる、近年まれな、しかも夏山ではめったに無い惨事となりました。
原因究明
現地調査
委員会では、報告書を作成するためにわざわざ事故のときと類似した条件で実際に登山を行い、検証をしています。例えば下の写真1(報告書のp.23)にあるように、晴れていれば眺めの良い天国のような場所も、天気が悪ければ先の見えない難路となります。この現地調査レポートは報告書のp.23~p.35まで続きます。
現地調査レポートから印象的な内容を挙げてみます。
- 「ロックガーデンを過ぎると…吹き曝しで、風をまともに受ける場所である。ロックガーデンの急登で疲れ、おまけに濡れた身体は、この辺で一気に体温が下がり始めてもおかしくない。ここまでの過程で、低体温症の前兆である「全身的な震え」がきていた人がいたのでは? 」(p.30)
- 「南沼周辺…から東京へ携帯電話をかけてみたが、明瞭に話すことができた。救助要 請はここから可能だったのでは? 」(p.32)
これらのことから考えて、ガイド自身が低体温症によって判断力が低下し、適切な行動を取れなかったのかも知れません。あるいは、正常性バイアスや、ツアーの失敗を認めたくない気持ちがマイナスに働いて、警察に通報するのが遅れたとも考えられます。いずれにせよ、自分が「もうダメ」な状態になったときは手遅れであり、早め早めに対策(休憩や計画変更など)をすることが必要なのでしょう。
事故要因の検証と考察
この事故には、報告書のp.36~p.43で書かれているような複合的な要因が存在しています。以下、印象的な点をピックアップしてみます。
現場におけるガイドの判断ミス
ガイドのリーダーが死亡しているため不明な点がありますが、一義的にはガイドの判断ミス、特に7月16日の「ゴー/ストップ」の判断の誤りによる気象遭難だとされています。
第1のポイント:なぜ16日の朝に出発したのか?
- 出発時の気象条件と予測
- メンバーの体調や力量などの把握
- ルートの状況確認
などを3人のガイドで十分に討議しておらず、ただ何となく出発したように思われるそうです。実は3人のガイドはこのツアーが初対面であり、そのせいもあってか危機意識の共有や役割分担が不十分だったようです。
第2のポイント:ヒサゴ沼分岐から日本庭園にかけて引き返せなかったのか?
稜線のヒサゴ沼分岐(地図3の「2」付近)に出たのち、一行は強風でまともに歩けないほどの荒天に遭遇します。 明らかに以上であるにも関わらず、ガイドは漫然と当初のルートを歩き続けます。
第3のポイント:遭難状態であることを認識していたのか?
ロックガーデンを超えて北沼で渡渉している頃には、参加者がバラバラになり、ついて行けない人も出ていますが、遭難時の対応(特に低体温症対策)はされず、また救助要請も遅れています。
以上のように今回の事故では、ガイドのまとまりやリーダーシップが存在しないように見えます。調査委員会は、次のようにリーダー・ガイドに求められる資質を述べています。
- 「リーダー…に、これだけ大きなパー ティをコントロールし、悪天候下でスムーズに引率できるだけの経験が備わっていなかったのではないか」(p.39)
- 「 行動中の参加者に対するケアも不足していた ように思う。あれだけの悪天候下での長時間の行動である。低体温症を疑い、参加者にこまめにアドバイスを送っておれば …」(p.39)
- 「危機対応や危険予知能力の養成は、実戦とケース・スタディがすべてであり、一朝一夕で身に付くものではない。厳しい自然の中で活動する登山という行為において、それを導く登山ガイドとは、それほど重い責任を背負っていると認識すべきである。」(p.39-40)
厳しい言葉をかけていますが、山に登るということは、一歩間違えば命の危険があることを考えると正論です。また、登山に限らず組織のリーダーに求められる資質だとも言えましょう。チーム作りと維持について、p.39で、
- 「リーダーはまず、自分の集団としてパーティを形成すべきである。まとまったパーティにできるか、”にわか寄せ集めパーティ”のまま進むかは、リー ダー次第である。そのためには、ツアーの出発前にまずはスタッフ間で、パーティ運営や安全管理について共通認識を持ち、役割分担を決めて、チームワークを確立しておくべきである。 」(チームの形成と、チームの骨格となる主要メンバーづくり)
- 「さらに行動中は、日々のルーティンとして、参加者のコンディション(経験、体力、疲労度、体調など)をどれだけ把握していたか。それらをスタッフ 3 人で共有することによって、まさかの時を含めて臨機応変な対応が できるものである。」(チームの維持には毎日の状態把握が必要)
と書かれています。まさに極限状態で生き残るための組織論・リーダー論でしょう。
ツアー登山会社の問題
委員会は、アミューズトラベル株式会社の問題点、すなわちツアー計画の甘さや無理さも指摘しています。「ガイド・スタッフのリスク・ マネージメント体制や能力が対応できていなかったのではないか。まずは、旅行と登山の違いを社内や ガイド・スタッフに徹底させるべきである。登山の場合、旅行業法上あるいは保険の裏打ちだけで許容される範囲のみでは、危機対応できるものではない。 …登山行為を単 なる旅行商品の付加価値として位置付けていないだろうか 」 (p.40) 、「 すなわち、ツアー登山は単なる山好きの人物が引率できるレベルのものではなく、他人の命を預かるだけに、まさにプロフェッショナルな世界なのである。 」(p.41)と、登山のガイドには、単なる登山経験ではなく重大事態への対応能力が必要だと、繰り返し述べています。
登山界全体の問題
さらに視野を広げて、中高年登山ブーム、とりわけツアー登山の問題点についても書かれています。登山者の高齢化に伴って事故も増加していることを踏まえ、「 登山者および遭難者の高齢化という現象は、日本の登山界全体が抱える構造的な問題である。今回の遭難事故は…特殊ケースではなく、その構造的な脆弱性の一端が表われたもの 」というのは間違いないでしょう。
今後への提言
ガイドに対して
「 ツアー登山においては、ガイドの存在がすべてであると言っても過言ではない。」(p.44)との認識のもと、 ガイド全体のレベルアップ、ガイドの能力や安全管理基準の明確化、ガイドの立場や待遇の改善など、プロフェッショナルとしてのガイドの資質向上と、責任の明確化、および権限の強化を求めています。
ツアー登山旅行会社に対して
「 ツアー登山という形で敷居を下げ、自然を愛する人々に広く親しまれ、定着していくことは大変喜ばしいことではあるが、そこに潜むリスクをいかに回避していくかについては、ツアー会社の責任も、ガイド同様に重い。」とのことです。結局、「(ガイドにもツアー客にも)無理をさせない」ことが安全の向上につながると理解しました。
登山界に対して
山岳協会などの団体に対しては、教育・啓蒙活動の充実を求めています。また登山者に対しては、登山者としての自立、ツアーであってもパーティの一員として行動すること、自分自身のレベルの把握を求めています。
その他
上記の他にも、医療面から見た低体温症の考察、山における身体特性、事故当日の気象の再検討、無事に下山したパーティの要因なども書かれています。
コメント