私のセクシャルアイデンティティを発見する旅

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カラダとココロが私を作る

私という人間は、カラダとココロで作られています。その2つは分かちがたく結びつき、互いに組み紐のように影響を与え合い、私のアイデンティティとなります。私にとって、アイデンティティの中でも最も大切なものは、セクシャルアイデンティティ。それは性別や性愛だけではなく、私という一人の人間が誰であるのかを知るために欠かせないものです。

セクシャルアイデンティティを確立するために、他の人(異性でも同性でも)とのカラダの親密さについて語らざるを得ません。それは、私という人間が生きていく中で最も意味のある側面の1つです。人は皆それぞれ、その人独自のやり方で自分のセクシャルアイデンティティを定義し、体験し、表現していきます。この令和という時代、生活のセクシャルな側面で望むことを叶えことは、以前よりも容易になっています。人はそれぞれ生き方を選択して楽しみ、失敗も成功もそのカラダに刻み込んで明日に進むことができます。それはカラダの自由でもあり、自らの望むことをココロに許す自由でもあります。

私の旅の道のり

私の話しをしましょう。私がどうやってセクシャルアイデンティティを発見し、確立してきたのかについての話です。10年前、私は人間関係に悩みココロの状態を低下させていました。端的に言って、メンタルヘルスを悪化させていたのです。1年近くに期間にわたって引きこもりに近い生活を送っていました。カウンセラーや精神科医などいろいろな専門家に相談しても状態は良くなりませんでした。そしてある秋の満月の日、夜の庭で月光のシャワーに打たれていた私は、たった一つの単純な真実に気づきました。結局、自分のココロを分かってあげられるのは自分だけだ、という単純な事実に気づきました。自分自身の内なる欲求と対話した私は、「自分は、親がそうあるべく望み、自分自身でもそうだと思っていたような貞淑で品行方正な人間ではなく、性への欲求が深くてカラダを解放したがっている人間だ」という真実を手に入れたのです。これが私のセクシャルアイデンティティ確立の第一歩でした。

その真実を得た私は、充実した性生活を探求して様々な体験をしました。異性との電話やチャットを通じた交流から始まり、互いに気に入った相手とデートを重ねました。そして少しずつ、カラダを解放することの心地よさを覚えていったのです。その過程で障壁となったのは、私が所属する東アジアの小さなコミュニティの常識や、そこで代々育った親や私自身の思い込みでした。私の属する文化では、暗黙のうちに、奔放な交際に眉をひそめ、婚前交渉などもってのほかだということを刷り込まれていました。私の属する文化では、心のままに振る舞うことは美しいことではない恥ずべきことであり、本心を包み隠すことが当然だということ、思うことを思うままに口にする者は魅力的ではないというメッセージを送り続けていました。

自分との対話で、私は自分自身を縛っていたこのような文化的背景に気づき、それは私が選んだものではなく、変えていきたいという思いを強く持つようになりました。その時から私は、私自身のカラダを愛し、大切に守り、昨日より少しでも美しくなるように手入れをすることを覚えました。そして、私が好きだと思った他者のカラダも同じように愛することを覚えました。その後の私は、性的な喜びを与え、受け取ることにためらわなくなりました。そうするうちに私が気づいたのは、他者とのカラダの交流を深めるにつれて、失われた魂が回復していくことでした。そんな暮らしを3年ほど続けた後、私のカラダとココロに忘れられない思い出を残した異性と出会いました。それは、本当の自分を体験する旅だったとハッキリ言えます。

この異性と肉体的にも精神的にも深く結ばれていたのは、わずか半年間です。でもその半年の間に私に起こった変化は驚くほど大きいものでした。その人は私に、性愛に関して以前は知らなかったすべてのことを教えてくれました。自分自身と相手のカラダを尊重しながら愛する方法を、全てを満たすやり方を教えてくれました。それはとても情熱的で、楽しく、充実したものでした。

後悔をしないために

私がかつて所属していた文化に残っている何人かの知人は、私を「道を外れた行いで身を滅ぼした者」だと思っています。彼らにとっては、婚前交渉はおろか、自由に場所を選びたびに出ることすら点をも恐れぬ振る舞いに見えるのです。それでも私は公開していません。自分の意思を持ってカラダとココロを解放したこと、大切な人と濃厚な半年を送ったことを誇りに思っています。私にとってその旅は全てを潤す宝石の水のようなものでした。

私は、この記事を読んでいる貴方が、そしてこの世界に生を受けた全ての人が、自分のセクシャルアイデンティティを定義し、それを自分の言葉で体験して表現する方法を望んでいます。それは、あなたの価値観や文化の背景には関係なく、一人の個人として体験する権利があることです。貴方自身に充実感や喜びを与え、生きる糧とするだけです。あなたの人生の旅が実りあるものとなり、カラダとココロを自由に解き放つ日が来ることを祈ります。

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